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野元昭嘉調教助手

野元昭嘉調教助手・元騎手(栗東・松田博資厩舎)

昨年12月20日に6名の騎手が現役を引退。その中に、野元昭嘉騎手の名前があった。現在は名門の松田博資厩舎にて調教助手を務めているが、攻め専ではなく持ち乗りとして、2頭の担当馬の世話をしていることまで知るファンは少ないだろう。今回は騎手時代の思い出から新たな生活に慣れるまで、現在の業務内容から将来へのプランなど、本人が口を開かずして知ることができない貴重な話を、嫌な顔ひとつせずに終始笑顔で語ってくれた。

思い出の馬はエイシンルーデンス

-:よろしくお願いします。丸18年の騎手生活だったのですが、全般的に振り返ったら、どのような感じでしたか?

野元昭嘉調教助手:まあ、パッとしないと言えば、パッとしないけれど、夢であった騎手になれて、幸せな時間を過ごせましたけどね。良いこともあり、辛いこともありですよね。

-:紹介できる範囲で良かったところから、まずお願いします。

野:やっぱり、小さい時からの夢であった騎手になれたことが、第一に良かったし、その中で勝つ喜びとか、自分が調教して、癖馬だとか育てた馬が競馬で結果を出してくれたり。G1は勝てなかったけれど、重賞を勝てたりとか、上のクラスで活躍できる馬を作れたりしたことが良かったですね。

-:野元さんがジョッキーを目指した頃というのは、憧れのジョッキーはどなたになりますか?

野:やっぱり、ユタカさん(武豊)とかが出てきてて……。小学校の時はそんなになかったんですけれどね。父親の背中を見てきましたが、僕が5歳ぐらいには調教師になっていて、いつも寝起きした所には馬が20頭ぐらいいて、いつでも厩舎で馬を触れましたしね。その内に競馬を見るようになって、騎手ってカッコ良いな、と思って。

-:競馬学校に行き出した頃にはユタカさんが?

野:中学校の頃にはもういたんですよ。ちょうど乗馬をやっていて、僕の同期は厩務員とか、持ち乗りをやっているんですけれど、みんなで集まって遊びながら、日曜日のメインレースはどっかの家で競馬を見てて、中2か中3の時にオグリキャップがラストランで勝ったんですよ。あの時は鳥肌が立ちましたね。

いつも馬の話をしてましたしね、周りが。西浦先生の息子だったり、厩務員さんの息子だったり、西橋調教師の息子だったりだとか、みんな同級生なので、本当に取りあえずは競馬の話ばっかりでしたね。あとは誠(西谷誠騎手)も同期で幼なじみだし、その時、福永祐一は学校が違かったのでアレですけど、小さい頃から遊んでいた幼なじみだし、取りあえず、中学の頃は競馬で回っていたかな。乗馬と競馬の話で。


-:実際、競馬学校に行ってみて、どうでしたか?

野:やっぱりシンドかったですよ。いきなり違う環境で、親元を離れて。誠や顔見知りがいたので、ホームシックとかはかからなかったですけれど。ただ、学ぶことばっかりで、時間に追われていて。

-:でも、聞くところによると、野元さんは成績優秀だったと。

野:取りあえず、入ってから最後までずっと1位でしたね、成績は。でも、競馬学校の成績が騎手としての成績には繋がらないですからね。馬を御したりだとかするのには長けているかもしれないけれど、やっぱり競馬で1着を取るというのは違うみたいで。競馬学校で成績が良かった人が、全員活躍しているかと言えばそうでもないし……。

-:でも、馬乗りとしての基礎というのは。

野:まあ、馬を制御したり、引っ掛かる馬を抑えるというのは、僕は誰よりも自信を持っているから。自分が持ってないことを他のジョッキーが持っている場合もあるけれど、それなりに自信は持って乗ってます。それは大事ですからね。馬にナメられないようにするには。

-:機械じゃなくて、生身の動物で何をするか分からないと。

野:そうそう。十人十色と一緒で、十頭十色なんで、色んな馬がいるから難しいとは思うんです。

-:その中で思い出に残る1頭と言えば、どの馬になりますか?

野:やっぱり、クラシック路線に乗せてもらったエイシンルーデンスという馬は調教も引っ掛かって、気性の激しい馬だったので、思い出にはありますけどね。

-:チューリップ賞で勝った馬ですね。

野:そうです。チューリップ賞に勝って、あとは京都、阪神の牝特で2着で、僕が乗ってない時に中山牝馬ステークスも勝ちましたね。

-:その時は柴田善臣さんでしたね。

野:逃げ切りでしたね。でも、最初に跨って、コレはスゲェー、と思ったのはエイシンデピュティでしたから。あの馬は子供子供してたから、持っている厩務員に1年後ぐらいに走るかもね、と言ってたんですよね。案の定、1年後に走り出して、宝塚記念を勝ちましたからね。

-:乗っておきたかった1頭ですね。

野:まあ、シビアな話、乗り替わりですからね、2戦目の後。

-:乗り替わりになった原因かは分からないですけど、新潟の栄進さんの馬で、内ラチに突っ込んでいったというのが。

野:そうです。逃げててね。

-:ゲートの引き込みの?

野:あそこはラチが広くなってて、昔から。コースが替わりましたが。中京とかでもあったんですけど、たまに跳んでいく馬がいますよね。

-:京都もないですか?

野:あそこはハローが入っていて、下が変わったり、あるんですよね。馬ってそういう所が見えているんですよね。

-:勝てる勢いで来てて、内ラチに突っ込んで?

野:2位、2位と来てて、ハナを切っていて、まあ、勝ちパターンですよね。勝ってたでしょうね。あのまま走っとけば。

-:まあ、チギって勝ってたかもしれないですね。

野:まあ、1番人気だったし、う~ん……。

-:そういう辛い思いも。

野:何回かありますよ。そういう馬が。

-:辛いだけじゃなくて、痛いですからね、体が。

野:でも、何故かケガをしてないんですよね、今まで。

-:ケガをしていないというのはスゴいですよね。18年丸々乗っていて。

野:1回、2年目に直線で落ちたんですよ。落ちた時はケガはなかったのですが、後ろから来た馬に足を蹴られて、骨折もヒビも入ってなかったんですけど、損傷ということで、ギブスをちょこっと着けたんですけど。すぐに復帰できたんですけど、12月の終わりだったんで、今年一杯は止めようと思って、止めたんですけどね。でも、その時も大したケガじゃなかったし、それからはずっとケガもなく、落ちてもね。

担当することになるラストインパクトへの騎乗

-:そして、引退間近に松田博厩舎からラストインパクトでエリカ賞に乗られましたが、この馬はどんな馬ですか?

野:厩舎に来て、新馬戦を使う前から乗っていました。キャンターは素直だし、本当に背中が柔らかいというか、安定感がある走り方をするんですよね。乗っていて、古馬みたいな背中の感じがするから走るな、と思って。やっぱり、新馬を勝って、次に乗せてもらえるとなって、ラッキーチャンスで勝てるかと思って、ずっと調教をしていて、乗りましたけどね。

-:ところが……。

野:スローペースで逃げ切られました。強い馬2頭は負かしたんですけどね。

-:もちろん、強い馬2頭を意識して乗らないといけないから。人気薄の馬を追っ掛ける訳にはいかないというのはもどかしいところですね。

野:そうです。内に祐一のサトノプレステージがいて、後ろに(川田)将雅のリジェネレーションがいる。この2頭が相手だなというのが判っていたので。でも、自分的には上手く競馬をしたと思うんですけどね。まんまと逃げ切られたみたいな。



-:馬としては2000mぐらいの距離で、コーナーが4つあっても全然、こなせるというのは。

野:そうですね。取りあえずスタートも良くて、結構、先行出来るし、自由自在のところがあるので、多分、どの距離に行っても持つと思います。

-:結果的には2着だったけど、内容的には馬の将来を考えて良かったと。

野:馬込みにジッとしてて、馬込みの間から突っ込みながら出していって、2着なので。

-:2戦目であの内容だったら、今後も楽しみだと。

野:はい。良いと思いますよ。

野元昭嘉調教助手インタビュー(後半)
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【野元 昭嘉】Akiyoshi Nomoto

競馬学校騎手課程第11期生。1995年、父である野元昭厩舎の所属騎手としてデビュー。同年は29勝を挙げ、中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞した。騎手時代の通算勝利数は重賞3勝を含む、5698戦238勝。引退レースで見事勝利し、2012年の12月20日に鞭を置いた後は松田博資厩舎に所属し、持ち乗り助手としてラストインパクトサダムダイジョウブを担当。調教師を目指しながら、腕利き揃いのスタッフの中で切磋琢磨している。