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北村宏司騎手×増沢末夫氏スペシャル対談


5月に発売された雑誌競馬ラボで、引退後初めてメディアに姿を現した増沢末夫氏。 アサデンコウ・ダイナガリバーで制した日本ダービー、そしてハイセイコーとの思い出を語っていただきましたが、 オールドファンからの熱いリクエストにお応えし、北村宏司騎手とのスペシャル対談がついに実現。 両人の心温まる必見エピソードをご覧ください。




‐:増沢先生、北村宏騎手、お忙しい中ありがとうございます。今日はよろしくお願いします。

増沢:よろしく。

北村:よろしくお願いします。今回のお話をいただいてから、とても楽しみにしていたんです。

‐:ありがとうございます。お二人でこのような企画で対談をされた事は今までにありますか?

増:無いですね、初めてですよ。なあ?

北:初めてですね。先生が調教師をされていた時には、ほぼ毎日顔を合わせていましたけど。対談はした事ないです。




‐:ちなみにお二人が最初にお会いされたのはいつ頃ですか?北村騎手のデビュー前からでしょうか?

増:いや、もう騎手としてレースに乗るようになってからですよ。

北:僕が騎手になって1年目の途中くらいで声をかけていただいて、それからですね。僕、競馬場に知り合いがいたわけでもないですし、先生とも接点は無かったんです。声をかけていただいて、調教やレースで乗せてもらい始めてからお世話になっています。

‐:そうですか。今回、データを調べまして、増沢厩舎の騎手別の騎乗成績をまとめましたのでご覧ください。

北:はい。(資料を見ながら)うわあっ!

増:どうしたの?

‐:増沢厩舎で一番勝ち星をあげたのが、40勝の北村騎手なんです。

増:ああ、そう。でもまあ、そうだろうな。ほとんどの馬に乗せたからね。

北:たくさん乗せていただきましたからね。2番目に勝ち星の多い中舘さんの2倍乗っていたんだ…。あれだけ乗せていただいて2着も36回ありますからね、もうちょっと勝てよっていう話ですよね(笑)。でも40も勝たせていただいているなんて、凄いですよ。




増:まあ、ダイワの大城さんの馬にたくさん乗っていたからな。

北:本当にたくさん乗せていただきましたね。



‐:先生の厩舎にはダイワさんの所有馬がたくさんいましたけど、オーナーの大城さんとのお付き合いはいつ頃からになるんですか?

増:僕が乗り役をやっている頃から乗せてもらっていてね。割りと成績もあげていたんだよ。

‐:そのお付き合いが調教師になっても続いたんですね。現在も、北村騎手はダイワさんの馬によく騎乗されていますよね。

北:たくさんチャンスをいただいています。これも増沢先生に乗せていただいたおかげですよ。僕、デビューした時には大城さんと面識がありませんでしたからね。増沢先生のところで初めて乗せていただいて、ダイワカーソンという馬で勝たせてもらったんですよ。

増:そうだったな。





北:それからデビュー2年目の2000年に二ノ宮厩舎のダイワカーリアン、上原厩舎のダイワルージュ、先生のところのダイワテキサスで、1年で4つも重賞を勝たせていただいたんです。その頃から、いろんな調教師さんから声をかけていただけるようになって。

増:ああ、そう。

北:名前を覚えてもらえる機会をいただきましたね。いろんな厩舎の方から見てもらえるようになりましたから、本当に感謝しています。やっぱりジョッキーはたくさん勝つのも、大きなタイトルを勝って名前を売るのも大事だと思いますからね。本当に感謝しています。




‐:飛躍のきっかけになったんですね。

増:宏司は今、何勝しているんだ?

北:今日勝って647勝です。

増:まだ30前でそれだけ勝っているんだろう?僕は32歳で300勝だったから、宏司はすでに倍勝っているんだな。

北:でも、そこは数字を単純に比べられないですよ。馬の頭数も違うし、一頭の馬に乗るのに、今とは比べものにならないくらい大変だったと思いますよ。

‐:北村騎手は現在29歳ですけども、先生が29歳の頃はいかがでした?

増:29の頃は…、大した事無かったな(笑)。さっき話した300勝をあげた32歳の時に初めて重賞を勝ったんだから。


‐:その初重賞がアサデンコウのダービーだったんですよね。

北:初めて勝った重賞がダービー!カッコいいですねー(笑)。

増:ワハハ(笑)。だから、宏司もこれからだよ。

北:励まされた感じがしますね(笑)。

増:僕はずっとリーディングのベスト4くらいには入っていたんだけど、なかなかリーディングを取れなかったんだ。40歳になってからだからね、リーディングになったのは。まあ、それから8回取ったんだけど。

北:40歳から8回リーディングって凄いですね(笑)。普通は40歳から8年騎手をやるのも大変なのに。先生は何歳まで乗っていたんですか?

増:52歳。53で辞めたの。52歳の時だって88勝して辞めたんだから。

北:最後の年に88勝もしたら、まだまだやりたくなっちゃいますよね。

‐:周りの方からも「まだ早いんじゃないか」みたいな事を言われたんじゃないですか?


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増沢 末夫(ますざわすえお)

1937年10月20日生まれ。北海道出身
中学卒業後、鈴木勝太郎厩舎に入門し、1955年・馬事公苑騎手養成長期課程を受講。 1957年・騎手デビュー。1966年・日本ダービーをアサデンコウで優勝し、重賞初勝利。

以降、関東有数のトップジョッキーとして活躍。40代以降に顕著な活躍を残し「鉄人」の異名をとる。
主戦騎手を務めたハイセイコー引退に際して発売された『さらば、ハイセイコー』は45万枚を売り上げる大ヒットとなった。

1991年・中央競馬史上初の通算2000勝を達成。その翌年引退し、調教師に転身。3165戦279勝の成績を残し、2008年に定年引退。
義弟に現調教師の鈴木康弘。長男真樹の嫁に増沢(旧姓牧原)由貴子がいる。




北村 宏司(きたむらひろし)

1980年7月24日生まれ。長野県出身
馬術の国体選手だった父親の影響を受け、幼少の頃から乗馬に親しむ。 1999年・現在も所属する美浦の藤沢和雄厩舎から騎手デビュー。

同年は6月に左足を骨折し、それによる1ヶ月の休養があったものの37勝を挙げ、JRA賞(最多勝利新人騎手)を獲得。
デビュー翌年、増沢末夫との縁がきっかけで乗ることになったダイワカーリアンで重賞初勝利。

その後、増沢が管理していたダイワテキサスで重賞(関屋記念・新潟記念)を連勝し、本格的なブレイクを果たす。
2009年はデビュー以来、初となる80勝ラインを超えるなど好調で、藤沢和・岡部ラインを継承する美浦の最重要騎手の一人。