よき後輩から、よきライバルへ
2012/10/13(土)
2007年に年間最多勝の日本記録を塗り替えるなど、地方・大井競馬を代表し、中央の舞台へ羽ばたき、その輝きを増した内田博幸騎手。そして、かねてから、その内田騎手の背中を追い、内田が去った後の地方競馬を背負う戸崎圭太騎手。師弟であり、親友であり、ライバルでもある、その二人による夢の対談が実現!なぜ、戸崎は内田を標榜するのか?急成長を遂げる戸崎を内田はどう見るのか?余すことなく語っていただいた。
-:本日はレース後のお疲れのところ、お集まりいただきありがとうございます。これまでも戸崎騎手には、恒例のインタビュー中に語っていただいたことはありますが、まず、お互いが自分にとってどんな存在なのかを教えていただきたいと思います。
戸崎圭太騎手:僕はもうデビューした時から、内田さんという人は夢というか目標でしたね。デビューした頃から周りにも「体型も似ているし、内田さんの真似をして乗っていけば?」と言われたことをよく覚えていて、騎手になった頃はそうずっと頭にありましたね。で、何年も騎手をやってきて、騎手というものの立場を考える上で、改めて、尊敬する騎手というか、人というか。
騎手としてのレース勘にしても、技術、綺麗さや追ってからの迫力にしても、何もかもが真似をしたいし、追いつきたいという思いはありますね。あとは騎手だけではなく、人としても大井に一緒にいる頃は勉強になりましたし、人間の大きさは感じましたね。
一緒に大井にいた頃は「競馬は自分だけじゃない」とよく教えられましたね。ファンもいて、スタッフもいて、色々な人と、どう接していくか、自分だけがよければいいというわけでなく、そういうことをアドバイスされたこともありましたので。僕は自分自身のことが一杯一杯で、今でもそうなんですけれど、トップに立った時の見本というか、これから変えていかなければとは思いますね。
-:「追いつきたい」という思いをもってきて、これだけ成績も残されました。追いつけている実感というのはありますか?
戸:劣るところばかりなので、それはないですね。それは成績だけでなく、自分で感じるものでありますし、だから、目標とする“騎手”であり“人”ですね。
内田博幸騎手:こういう勝負の世界は口で言ってできるものではないんですよ。でも、これだけ技術が伸びていって、成績もあげているのは、自分自身も見る目があったんだとも思いました。“この子だったら技術が伸びて、一流の騎手になるだろうな”というのをデビューした時に感じていました。若いから色々な過ちや経験をして、伸びていくものですし、目に余る部分は「それはよくないぞ」とアドバイスしたことはありますが。
それに僕が中央に移る前は、とにかく一生懸命乗って勝つんだというスタイルだったけれど、今は余裕が出てきているというのは感じますね。僕に近づく、近づかないではなく、彼自身のいいところが凄く出ていると思いますよ。地方でもこれだけ勝っているんですからね。「良い馬に乗せてもらっている」とは周りが言うかもしれないけれど、それでも技術であり、本人の努力、根性、技術を磨くんだという思い。夢を現実にという気持ちがなければ勝てないですからね。
騎手ですからね、僕は自分がどれだけやれるか試したい部分もありましたし、僕が大井にいたころ、「実際にこういうことをやるんだ」と口にして、そして、中央へ移籍して……。そういうところをみてきて、同じように現実にしようとしているジョッキーの一人だと思うので、すごく僕は応援したいし、乗ればライバルだけれど。ここ数年、みるみると技術も上がって、僕よりも巧いんじゃないかと思う時もあるほどですよ(笑)。
戸:いやいや(笑)。
-:初めて大井に来られたころの印象はどうだったんですか?
内:子供でしたね(笑)。冷静な時はいいけれど、カッと血が上ると、あまりにも自分の意思を通したがるところがあって、ちょっと反感を買うかなと。やっぱり、こういう世界は人に好かれなきゃいけないし、敵を作っても何もいいことはないし、好かれようとしなくても、嫌われるよりも、この人の人柄が好きだと言われるようになる方が、うまくいくと思いますし、その方が周りは味方してくれるし、運も味方してくれますから。それに技術も向上すれば、敵なしだよね。
-:大井に来られた当初は戸崎騎手に何度も話を伺っていると「自分はジョッキーとしてそんなに技術はなかった」というふうに教えてもらいました。その中で、光るものがあったとは、どんなところに感じられたのですか?
内:それは誰しもそうですよ。僕だってそうだし。だからそれを常に思って騎乗していかなければ向上心もなくなります。馬というのは一頭一頭違うし、毎年違う馬が出てくるので、いくら血統が同じでも性格が違うもの。だからそれを常に勉強していく。競馬というのは答えがない仕事なんですよね。レースにしても絶対こういう展開になるという答えが数学のように出るわけではないので、そういう面では難しいところでもあるし、結果がすぐ出るから面白いところもあると思うので、本人も凄く努力をして……。
まぁデビューをした当時は何かこう良いモノ、センスは感じましたね。センスは感じたけど、まだこう本人の気持ちとバランスが取れていなくてっていうところもあったので。でも戸崎君もデビューして、かなり苦労をしていたんでね。ちょっとアドバイスしてあげたい、応援してあげたいというのはあったんですけど、なかなか成績も最初は怪我もしたり色々あって……、そういった経験が今に生きているんじゃないんですかね。今頑張れるということは、そういった辛い経験があるからじゃないですかね。
戸:そう言っていただけるのはありがたいですね。
“この子だったら技術が伸びて、一流の騎手になるだろうな”というのをデビューした時に感じていました(内田)"
内:僕は大井所属なんでね、こうやって大井のジョッキーが育っていってくれるってことが、僕が大井から中央に移る前の仕事というか、後輩とか大井に対する恩返しだと思ったんです。やはり前は船橋とか川崎のジョッキーが大井にいっぱい乗りに来ていたんですよ。もう大井の騎手はほとんど乗れなくて、ほんと的場さんぐらいのもんだったんですよね。三郎さん(高橋三郎・現調教師)や、鈴木のケイちゃん(鈴木啓之・現調教師)、鷹見(浩・現調教師)さん、あの辺が中心に大井で乗っていたけど、石崎(隆之)さんとか、張田(京)さん、桑島(孝春・元騎手)さんなど、ジョッキーがいっぱい来ていたので。
ただ成績を上げれば良いってものじゃなくて、一人の人間ですから、どんな世界に行っても、どんな社会に行っても、ただ学があるないとかじゃなくて、人間として、素晴らしい人間と思われるような。別に難しいことを喋れというわけじゃなくて、相手に対しての気持ちとか、自分はこういうふうに思っているとか、そういった単純なことで良いんですよね。それを伝えられるようなジョッキーになってもらいたいなと。
地方のトップということは代表ですからね。地方の代表でもあり、日本のジョッキーの代表でもあるのだから、それをしっかり噛み締めてもらって、騎手イコール全体、競馬サークルの全体のことだと、噛み締めて発言してもらえれば良いなと思って、アドバイスなどを一応自分なりにしたつもりですけどね。
-:技術に関して、現状の戸崎ジョッキーの良さと言ったらどこになると思いますか?
内:やっぱり自分に自信を持っていますよね。乗り方に関しても。“自分だったら大丈夫だ。自分だったら乗りこなせる。自分だったら良い成績を残せる”といった気持ちもありますし、また地方の代表として中央に来ているから下手な負け方もできないし。そういう気持ちで乗っているから、やはり成績も出せるしね。地方の騎手がダメってことじゃないですよ?みんな一生懸命頑張っているんで、その中で数いっぱいレースに乗ってレース勘とか技術とかが、やっぱりレースで養われていっているので。「流石だな、戸崎」というレースをしますよね。スタートセンスも良いし、馬への当たりも良いし、判断もね。人間ですから、たまには判断が狂っちゃうというのは、僕でもいつでもあるし、今日もありましたけどね。その中で減点材料も少なくできるジョッキーじゃないですか。
-:観ていて具体的に印象に残ったレースというのはありますか?
内:印象に残ったレースは……。(マカニビスティーに乗って)羽田盃で僕にハナ負けして、その次のダービーで勝たなきゃいけない時は相当なプレッシャーだったと思うんですよね。でも本人は「勝てるところを負けた」と言う。実際は勝っていたかも知れないじゃないですか?そういうレースをしていても。でも、自分じゃ「ちょっと早過ぎた」という風に反省して。それを踏まえたレースをダービーの時にしてキッチリ勝てるところ。それはやっぱりできそうで、できないところなので。大したモノだと思いますよ。僕が現役でバリバリの時に戦ってみたかったですね。
-:それを言ったら、何か今じゃ下がっているみたいじゃないですか(笑)。
内:違うか(笑)。今は中央にいるから、こっちにあまり参戦できないじゃないですか。でも、それでもまだ負けないっていう気持ちはありますよ。その気持ちがなくなったら僕はもうジョッキー終わりだなと思っているのでね。だからまだまだ若くて体力もあって技術もうなぎ上りで、僕はある程度の年齢になってもこういう若い子からも吸収するし、ある程度の年齢を重ねた良い部分も確実に持っている。本人も若さだけじゃない部分が必ずあるから。経験とか実績とかが積み上がって、そういうものが生かされることが必ずあるから。それも自分は今持ち合わせているので、レースは“勝った・負けた”の世界ですが、でも同じプロなんでね、本人も負ける気はしないだろうし、僕も負ける気がしないってレースになる。それが騎手同士だと思いますね。
プロフィール
内田 博幸 Hiroyuki Uchida
1970年7月26日生まれ、福岡県出身。
公営・大井競馬所属から1989年に騎手デビュー。
的場文男、石崎隆之騎手らが全盛期の時代に頭角を現すと、2004年に年間385勝(他、中央では28勝)を挙げて、初の南関東・地方競馬全国リーディングを獲得。
また、鉄人・佐々木竹見の年間505勝の記録を2006年に更新。同年には地方524勝、中央61勝という並外れた成績を残し、翌年には地方所属ながらNHKマイルCでピンクカメオに騎乗し、中央G1初勝利を挙げた。
07年には08年度のJRA騎手試験を受験を名言。当時の規定で、1次試験は免除となり、晴れて、08年3月1日付けでJRA騎手となる。
その後の活躍は周知の通りだが、2010年にはエイシンフラッシュで日本ダービーを制覇。 昨年は大井競馬で頸椎歯突起骨折の重傷を負い、長期休養を余儀なくされたが、今年もゴールドシップで皐月賞を制し、完全復活をアピールしている
戸崎 圭太 Keita tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。
公営・大井競馬所属の騎手。1998年に騎手デビュー。
08年に年間306勝を挙げて、初めて地方全国リーディングに輝くと、2009年は387勝、2010年は288勝、2011年は327勝をマーク(地方競馬のみ)。
また、2008年頃から頻繁に中央でも騎乗。2009年に21勝、2010年も22勝を挙げている。重賞では2010年の武蔵野Sをグロリアスノアとのコンビで制し、JRA重賞初勝利を挙げると、2011年の安田記念ではリアルインパクトとのコンビでG1初制覇。
地方でも、これまでに東京ダービーを4勝、フリオーソとのコンビで帝王賞を2勝するなど、数々のビッグタイトルを手にしている。現在は競馬ラボでインタビューを定期連載中。
★競馬ラボ独占コンテンツ★
週刊!戸崎圭太